
受験勉強さえも自己表現へ昇華
高3探究講座が拓く「新しい知」の地平
同校が現在、教育の柱として据えているのが「海城知」の育成である。これは単なる知識の蓄積ではなく、人間が人間らしく生きるための「新しい学力」と、他者を思いやる「新しい人間力」を統合した包括的な力を指す。この理念を最も鮮明に体現しているのが、高 3 で展開される「高3探究講座」だ。
一般的に、大学受験を目前に控えた高3生は、模試の判定や過去問演習にのみ意識が向きがちである。しかし同校では、あえて「大学受験だけを目的としない豊かな学び」をカリキュラムの核に据えている。現在開講されている15の講座は、既存の教科の枠を大きく超えるものばかりだ。例えば「石を拾う・石を磨く~岩石薄片作成実習~」では、地学的な知見を自らの手で磨き上げるプロセスを重視し、「多変数関数の微分積分」では大学数学の入り口へと生徒を誘う。また、「政治家の書簡から読み解く近代日本政治史」や「日本語と西洋音楽~翻訳と歌唱を通して異文化を理解する~」といった講座は、論理的思考と芸術的感性の融合を試みる、極めて高度な知的営みである。さらに、社会の要請に応える「情報化探究『生成AIを利用したデジタル・プロダクトの開発』」や「医師・医療基礎論」など、実社会との接点を強く意識した内容も揃っている。
こうした探究的な姿勢は、一朝一夕に育まれるものではない。大迫先生が着任して驚いたのは、生徒たちが日々の授業に対して向ける、「真摯で誠実な眼差し」だ。ある高3のクラスでは、生徒の約3分の2が東京大学を志望するという極めて高い進学意識を持ちながらも、受験に直接関係のない探究活動や日々の講義に没頭する姿が見られるという。同校においては、受験勉強は単なる「試練」ではなく、自らの思考や努力を形にする「自己表現の一環」として捉え直されているのだ。
大迫先生は、135年の伝統に敬意を払いつつも、「常に『未来思考』で現在のキャンパスの熱量を伝えたい」と語る。その根底にあるのは、「恵まれた力を、自分だけでなく他者のためにも使える人になってほしい」という教育者としての切実な願いである。卓越した知性を、個人の成功という小さな枠に留めず、社会全体の幸福のために還元できる人間を育てること。それこそが、同校がめざす「新しい紳士」の真髄なのである。

詩の朗読とピアノが奏でる共感の絆
言葉と感性を重んじる対話型の教育像
国際バカロレア(IB)の全プログラムの校長資格を持つ大迫先生は、グローバルなスタンダードを熟知した上で、日本の中等教育が果たすべき責任を問い続けている。2026年度は「表現する学校」をキーワードに据えた。これは、数学の解法、武道の所作、行事での振る舞い、そのすべてが「自己の表現」であるという宣言だ。
「表現」を通じた交流を象徴するのが、校長室に置かれた1台のピアノだ。大迫先生は着任後、校長室をオープンドアにして、生徒がいつでも立ち寄れる空間へと変えた。卒業式の日、夕暮れ時の校長室を一人の高3生が訪れた。彼は、かつて大迫先生が「自分にとって大切な曲だ」と語ったショパンの『幻想即興曲』を、感謝を込めて奏でたのである。
この感動的なバトンは、翌月の始業式で新入生へと手渡された。大迫先生がこの高3生のエピソードに触れ、「さまざまな表現活動を行っていこう」と伝えたところ、ある中1生の琴線に触れたのだ。
「土曜日の朝、正門に立っていたら彼から『校長室へピアノを弾きに行ってもよいですか』と声をかけられました。彼もまた、同じ『幻想即興曲』を力強く、そして繊細に演奏してくれましたが、小学生の頃に本校の校長室にピアノがあることを知り、本校を志望したのだそうです。本校がめざす姿を示す象徴的な出来事でした」
また、詩人でもある大迫先生による「式典での詩の朗読」も、生徒の感性を揺さぶる重要な機会となっている。当初、多感な時期の男子生徒たちにとって、詩を聴くことは気恥ずかしさを伴うものだったかもしれない。しかし、学年を追うごとに彼らの態度は劇的に変化した。ある時、式典を取材したメディア関係者は、朗読が始まった瞬間に、約1,000人の生徒たちが一斉に姿勢を正す光景を目の当たりにし、その静謐(せいひつ)な緊張感に驚いたという。
この変化は家庭へも波及している。保護者から「今日はどんな詩を読んだのか、子どもが報告してくれるのが楽しみです」という声が届くようになり、学校という場が「言葉による共感」を軸に再構築されていることが伺える。谷川俊太郎氏からも「1,000人の前で朗読する場があることは素晴らしい」と称賛されたこの取り組みは、単なるセレモニーではない。それは、生徒一人ひとりが他者の内面的な表現を受け入れ、自らの感性を育むための、極めて濃密な対話の時間なのだ。
遺跡から最先端ラボまでが生きた教材
好奇心を刺激し能動的な学びを誘発する
生徒の知的好奇心を最大化するための環境整備において、同校は一切の妥協を排している。その象徴が「サイエンスセンター」である。中等教育レベルでは日本有数と目されるこの施設は、理数系に強い興味を持つ生徒たちにとっての「聖地」となっている。オープンキャンパスでここを訪れた小学生が実験機器や展示に夢中になり、なかなか出てこないという逸話は、この空間がいかに生徒たちの本能的な探究心を刺激するかを物語っている。
さらにユニークなのが、2027年度の使用開始をめざして進められている新校舎建設のプロセスそのものを、「生きた教材」に変えてしまう姿勢だ。建設工事中に敷地内から遺跡が発見された際、通常であれば工事の遅れを懸念するところだが、同校ではこれを絶好の学びの機会と捉えた。ヘルメットを着用した生徒たちが工事現場に入り、大学の専門教員による解説を受けながら、歴史の重みを肌で感じる見学会を実施したのだ。
日々形を変えていく建設現場を眺め、自分たちが学ぶ場所がいかに多くの人々の手によって作られているか、そしてその土壌にいかなる歴史が眠っているかを知ること。こうした体験は、教科書に記載された文字情報の数倍ものインパクトを生徒の記憶に刻み込む。大迫先生は「新しい空間は、生徒の学びのモチベーションを自然に高めてくれる」と説く。
今年からは、土曜日の朝に正門に立ち、登校してくる約2,000人の生徒にあいさつをする取り組みも始めた。「生徒たちが私の顔を見て『今日も頑張ろう』『一週間頑張ったな』と思ってくれたらうれしい」と話す。校長と生徒が自然に言葉を交わす風景も、同校の日常だ。

また、専門家を招いて行われる「校長室講義」も、より本格的なゼミ形式へと進化した。第2回では東京科学大学医学部長の秋田恵一先生を招くなど、超一流の知性に直接触れる機会を提供。十数名の生徒が大学のゼミさながらに自らの考えを発表し、議論を戦わせている。
偏差値を超えた「相性」を問い直す勇気
他者の幸せのために力を尽くす「真の志」
現代の熾烈な中学入試において、同校は「偏差値のみを指標とした学校選び」からの脱却を提唱している。大学合格実績はあくまで結果であり、重要なのはその学校がどのような価値観を持ち、どのような人間を育てようとしているのかという「マッチング」であるという考え方だ。
大迫先生は「伝える前に、まず存在させること」を信条としている。校長室のピアノも、著名なバイオリニストである澤和樹氏が年に一度訪れて奏でる調べも、さらにはオープンキャンパスで置かれる校長の等身大パネルやスタンプラリーといった遊び心も、すべては海城という学校の「ありのまま」の姿を表現するための工夫である。保護者に対して「この学校の空気が我が子に合うかどうかを見極めてほしい」と語る背景には、教育環境への絶対的な自信が垣間見える。
同校がめざす教育は、単に難関大学の合格者数を競うものではない。それは、人生の荒波を切り拓くための「海城知」を授け、人間としての品格を養う場である。伝統に安住することなく、常に「中等教育の責任」を自らに問い直し、教育のあり方をアップデートし続ける姿勢こそが、同校を唯一無二の存在たらしめている。
大迫先生は、これまでの豊富な教育経営の経験を背景に、強いプレゼンスを発揮することで学校の進むべき方向を明確に示している。数学の一問に向き合うことも、武道で汗を流すことも、そして仲間と詩の世界を語り合うことも、すべては生徒一人ひとりの内面を輝かせるための「自己表現」の欠片である。
自らの卓越した才能を、自分のためだけではなく、他者の幸せや社会の発展のために迷わず投じることができる人間。海城という肥沃な土壌で、大迫先生が紡ぐ言葉に触れ、自由な探究を楽しんだ生徒たちが、やがて次世代のリーダーとして世界へ羽ばたいていく。そこには、数字だけでは決して捉えきれない、教育という名の真の希望が確かに描かれている。同校の校歌に謳われる「雄図」——立派な志——を胸に、生徒たちは今日も「自分」という存在を表現し続けているのである。