生徒の共感能力、主体性、ストレス耐性の低下に危機感を抱く
──これまで積極的に学校改革を進めてこられた要因と背景からお聞かせください。
中田 改革の発端は、志望大学に合格して燃え尽きてしまい、留年する卒業生が見られたことでした。進路実現のその先の未来につながる「新しい学力」「新しい人間力」を育成することが重要だと感じたのです。
とくに深刻だったのが、コミュニケーション力の低下です。異学年との交流が苦手で、校外学習でも外部の一般の方々に話しかけられると尻込みしてしまいます。そこで、チームで与えられた課題解決に取り組む「プロジェクト・アドベンチャー」や、チームで芝居を創作して演じる「ドラマ・エデュケーション」などを導入しました。
人間関係の構築や、協働する心の涵養に一定の成果をあげられたと自負していますが、ここにきて、生徒たちにさらなる変質が生じています。最も顕著なのが、社会性の基本となる共感能力の低下です。また、塾で受け身の学習に慣れ切ってしまい、主体的に行動できない生徒も増えています。保護者がすべての障害を取り除いてしまうため、ストレス耐性も低下しています。少しでもノイジーなものがあると、心が折れて、極端な場合は不登校になってしまうのです。そうした状況を受けて、これまでの改革の経験とノウハウを生かしつつ、新たな学校改革の展開を図ることにしました。
文部科学省と経済産業省が、ポスト2020の教育改革を提言
──新たな学校改革の方向性を教えてください。
中田 2020年に大学入試の大規模な改革が実施され、学習指導要領も改訂されます。本校の新たな改革は、その先を見通したものです。奇しくも2018年6月、2つの省庁から、ポスト2020の教育改革ビジョンが公表されました。それらと比較、参照することで、本校の改革の方向性を示したいと思います。
文部科学省から発表されたのは「政策ビジョンSociety5.0に向けた人材育成」です。Society5.0とは、1.0(狩猟社会)、2.0(農耕社会)、3.0(工業社会)、4.0(情報社会)に続く、新たな社会をめざすもので、第5期科学技術基本計画において、日本がめざすべき未来社会の姿として提唱されました。コンピュータを通じて、人やモノ、その他のあらゆるものがつながる社会であり、「超スマート社会」と訳されています。それに対応できる人材を育成するために、文部科学省では、ICTを活用した「個別最適化」と、文系と理系を融合、越境させる「脱文理分割」を、新たな教育のコンセプトに掲げています。
経済産業省の「『未来の教室』とEdtech研究会第1次提言」では、エデュケーション・テクノロジーによる「アダプティブラーニング(一人ひとりに適合した学び=個別最適化)」、およびSTEM(科学、技術、工学、数学)に、芸術や人文科学などのアート(A)を加えたSTEAM教育としての探求学習の推進を表明しています。
両省の主張を読み込んでみると、かなり共通した部分が多く、なおかつ「新たな学力」をどのように高めていくのかという方向性も見えてきます。まず、新たな学力の3要素のうち、第一要素に当たる「知識・技能(低次認知的能力)」は、AIやビッグデータ技術の進歩によってもたらされるEdtechにより、個別最適化した形で効率よく習得できるようにする。第二要素の「思考力・判断力・表現力(高次認知的能力)」は、文理融合のSTEAM教育による探求学習の中で高める。そして、探求学習を通して、学力の第三要素である「主体性、多様性、協働性、人間性(非認知的能力)」も高める工夫が凝らせるようになるといった構想だと考えられます。
Edtechにより個別最適化した形で「知識・技能」を効率よく習得させる
──両省の提言を受けて、海城ではどのような新たな改革が進行するのでしょうか。
中田 経済産業省では、約200校で「未来の教室」実証事業を推進しています。2018年11月に行われた中間報告会で注目を集めたのが、千代田区立麹町中学校のQubenaという教材ソフトを用いた数学の授業です。各自の到達度に応じて問題を解くのですが、大きな特徴は、以前学んだ単元の知識が不足しているためにつまずいた場合は、その単元に立ち戻って問題演習できることです。分からない部分を確実に消化しながら前に進めるわけです。どうしても分かる生徒と分からない生徒が出てしまう一斉授業の弱点を補えるスタイルです。教室風景も大幅に変わり、教員は問題を解いている生徒の間を巡回しながら、必要に応じてサポートし、ファシリテートする形になっています。同校によると、中・下位の生徒にとくに効果的で、通常なら160時間必要な授業を28時間で終えることができたそうです。今年2月、高校版の教材ソフトも登場しましたから、今後、こうしたEdtechによる個別最適化が加速することは確実です。
本校でも、「知識・技能」の習得に関しては、Edtechの調査と導入のための準備を積極的に推進します。2016年にICT教育部を設置し、全クラスに電子白板を設置し、ネット接続を可能にするなど、そのための環境も整えられています。今後もEdtechに対するリサーチと受け入れ準備に力を入れていきたいと考えています。「知識・技能」の習得をある程度、テクノロジーに委ねることによって、教員の負担は軽減されます。その分、より充実した探求学習の場を設定して、「思考力・判断力・表現力」を高めたいと考えています。
教科や学年の枠を超え、外部にも広く開かれる「KSプロジェクト」
──「思考力・判断力・表現力」を養う教育としては、どのようなものがありますか。
中田 本校ではこれまで、社会科総合学習、理科の生徒参加型授業、芸術教育(油絵、演劇など)を導入してきました。STEAM教育を充実させるために、理科館の新築にも着手し、2021年夏の竣工をめざしています。
それらに加えて、2017年からスタートしたのが「KSプロジェクト」です。形態上の特徴は、各教科のカリキュラムや通常授業の枠を超えた学びを展開することです。脱文理分割の学びの場でもあります。曜日、時間、場所、学年も、何ら制約なく自由に設定できるようにします。
学習内容の特徴としては、生徒たちの「とがった」興味・関心を深く掘り下げるような講座にします。変化の激しい現代社会においては、常に学び続ける姿勢が求められます。中高時代に、自分の興味・関心を研ぎ澄ます濃密な時間を経験することによって、持続的な学習意欲を培うことが目的です。
また、学内で自己完結させることなく、学外のコンテストにチャレンジするなど、何らかの形で外に開かれた講座にします。未来を切り拓く新しい価値、真の意味でイノベーティブ、クリエイティブなものは、ゼロからいきなり生み出されるものではありません。まったく異なると思われていたもの同士が、いくつかの偶然が絡むことで関連づけられ、化学反応が起こることによって生み出されます。そうした偶然性を起こすには、オープンな学びの姿勢を習慣化することが大切なのです。
従来の本校の改革は、コミュニケーション力を高めるために「プロジェクト・アドベンチャー」を導入するなど、プログラムを通して育む能力が明確でした。アウトカムベースの改革だったといってもいいでしょう。それに対して、「KSプロジェクト」では、あえて計算不可能な、偶然性に満ちた学びの場を設計します。その意味でも、本校の学校改革は新たなフェーズに入ったといえます。
──「KSプロジェクト」の具体的な中身を紹介してください。
中田 最も人気が高いのが「プログラミング講座」です。2018年の夏の集中講座では、本校OBのドリコム・内藤裕紀代表の支援を受けました。日本を代表する起業家から、貴重な話を聞ける機会も設けられ、生徒にとって刺激的な場になりました。
「言語系外部コンテストにチャレンジ」では、俳句甲子園やビブリオバトルなどへの出場をめざしています。すでに俳句甲子園で優秀賞を受賞した生徒も出ています。 国連で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)について議論する「SDGsゼミ」では、ジェンダー班が、国連大学で開催された大会に参加。男子の視点からジェンダーの平等実現に関する提言を行いました。
そのほか「Kaijo Timesで世界へ発信」「生物・化学実験の動画を撮ろう」などの活動があります。いずれも教科や学年の枠を超え、外部と開かれた取り組みになっており、創造的思考力の向上につながっています。
JAXAなどと共同で、非認知スキルの評価法・訓練法に関する研究も始動
──2019年からJAXA(宇宙航空研究開発機構)などとの共同研究に、実践校として参加することになっていますね。
中田 JAXAとSpace BD、Z会グループが「宇宙イノベーションパートナーシップ」という枠組みの中で行う「次世代型教育事業創出」の研究に、実践校として参加することになりました。研究のメインテーマは「非認知スキルを向上させる教材の開発」です。非認知スキルとは、新しい学力観の第三要素である「主体性、多様性、協働性、学びに向かう力、人間性」などのことです。可視化が難しく、どのように育成して、どう評価すればいいのか、学校現場で大きな課題になっていました。
宇宙飛行士は、国籍や専門が異なるメンバーが集まり、きわめて狭い空間の中で協働する力が要求されます。ストレスがたまり、対立が生じれば、思わぬトラブルが発生する可能性があります。その危機を乗り越えて、協力して問題解決に当たるためには、高い非認知スキルが必要になります。そのため、JAXAには、宇宙飛行士にふさわしい非認知スキルを備えているかを評価する方法や、非認知スキルを強化する訓練法などのノウハウが蓄積されています。それを参考にして、教育に活用することが、今回の共同研究の目的です。今後、本校で実証実験が進められていくことになります。これまでの本校の改革において、最も立ち遅れていたのが非認知スキルの評価(アセスメント)でした。その部分が補完されれば、非認知スキルを強化する教育がさらに充実したものになることが期待できます。
自分の活動を振り返り、さらなる成長につなげる「eポートフォリオ」
──2020年の大学入試改革に関連した改革はありますか。
中田 すでに早稲田大学、慶應義塾大学、上智大学、東京理科大学などの難関私立大学では、出願段階で、学力の3要素に関わる経験を生徒自身が記入した書類の提出を求めています。そこで、2017年から導入したのがeポートフォリオです。ただし、大学入試に役立つからという理由だけで導入したわけではありません。実は、ベネッセの報告によると、同様のeポートフォリオを採用している学校の中で、本校の生徒の書き込み量はトップクラスだそうです。一般的には、「何をしたか」、活動内容を書くだけで終わる生徒が多いのですが、本校の生徒の場合は「活動を振り返って、成功・失敗の要因など、どんなことに気づいたか」「それを踏まえて、次はどう改善すればいいか」という3段階の思考プロセスができているのです。これは、「プロジェクト・アドベンチャー」をはじめとする多様な活動を実施した後、必ず皆で集まって、振り返り、気づきを与え、次の異なる活動にも活用する学びを行っているからです。皆で話し合う中で、共感が生まれ、自分一人では到達できない高みをめざすこともできるのです。eポートフォリオも、自分の活動を振り返り、気づきを生み出し、さらなる成長につなげるツールとして、生徒が十分に活用するように指導していきたいと考えています。