生徒の心に灯をともす対面授業こそが学校の役割
多摩大聖では、6月1日から対面授業を再開したが、コロナ休校中は、あえてオンライン授業を全面展開しなかった。オンラインで行ったのは、ホームルームと、SST(Self-Study Time)と呼ばれる6時間目の後に実施されている25分間の自習時間、そして自習時の質問に答える「質問タイム」のみ。その他の教科教育は、郵送教材による通信教育的な指導が中心だった。
石飛一吉校長は、オンライン授業を積極的に導入しない理由について、次のように語る。
「学校教育が対面授業を重視しているのは、教員が子どもたちと向き合うことで、子どもたちに『学びの感動』を届けることができるからです。知識を注入することは、オンラインの学習教材でも十分に可能です。しかし、感動は人と人が面と向かって話し合うことでしか味わうことができません。一人が学ぶ楽しさに気づく。すると、自分が気づかなかったことに友だちが気づいた感動がクラスに波のように広がっていく。一人の発見の感動が集団に連鎖していき、集団として学びの質を高めていく─これが学校教育のめざすものです。だからこそ本校では、コロナ休校中のオンライン授業に消極的だったのです」
ただし、オンライン授業そのものを否定しているわけではない。そのため、オンライン授業でできることと、できないことを精査したうえで、多摩大聖らしいオンライン授業を提供する準備を進めており、すぐにでもオンライン授業に切り換えられる体制を整えてはいる。
「学校とは何か」が問われるコロナ収束後の中高の教育
コロナ休校は、学校教育のあり方も問い直した。AIやICTが浸透し、今までの価値観や職業観が通用しないような時代を生きる子どもたちに必要な力を育成するためには、学びの方向性を変える必要がある。文部科学省が新しい学力観を打ち出したのもそのためだ。学びの方向性が変われば、学校のあり方も変化していかなくてはならない。
多摩大聖では、長期間の休校期間中に、そうした新しい学校のあり方を模索し続けた。生徒のいない学校で、「果たして学校は必要なのか」という根源的な問いから出発し、将来の学校像について議論を重ねてきた。そして到達したのが、スリム化した学校の姿だった。塾に任せる部分は塾に任せ、地域に任せる部分は地域に任せることで、学校は学校にしかできない部分を担えばいいのではないかと。
「学校にしかできないこと、それは人格形成に大きく関わる『集団』での学びです。集団のなかで学び、生活することで、他者の存在と価値観の多様性に気づくことができるからです。それは同時に、自分の中の多様性に気づくことでもあります。これは集団での対面の授業があって、はじめて可能になるものだと思っています」(石飛校長)
この“気づき”を育て、伸ばしていくには、正解があり、そこに到達する筋道を教えるような教育ではなく、正解のない問いを突き詰めていくプロセスが大切だ。石飛校長は大学の教員でもあり、従来型の受験勉強を経てきた大学生がすぐに正解を求めたがっていることも熟知している。
そこで、大学の授業では、検索しても絶対に答えが出てこないような課題を課し、その問いに対する学生の答えから、様々な方向に話を発展させ、幅広い気づきと知的関心を涵養している。その結果、大学の「ベスト・ティーチャー賞」も二度受賞した。そうした経験を、多摩大聖の教育にも生かそうと考えている。
「新たな発見や気づきは、土台となる基礎知識を、AIやe-ラーニングを使って家庭で身につけたうえで、対面授業に参加し、各自が学んだことを互いに開示して議論することで、はじめて生まれるものです。こうした反転授業的な学びこそが、これからの学校教育のめざす方向性であり、本校でも積極的に導入していきたいと考えています」
体験学習や卒業論文を通して論理的に考える能力を養成
発見の喜びを見いだす教育プログラムは、多摩大聖ではすでにいくつか実践されている。たとえば理科や社会などでは、教科書で学ぶような内容を、身近な地域などに出かけて体験的に学べるように工夫している。
「一般の教科書に書かれているのは結果だけです。その発見に至ったプロセスや、エピソードはほとんど載っていません。20年間教科書を執筆してきましたから、よくわかります。ではどうするか。身近な地域を材料に学ぶことで、教科書の行間に埋もれている発見の喜びを追体験させようというわけです」(石飛校長)
理科では、多摩大聖が立地する多摩地域を中心としたフィールドにおける「観察実験ノート」が用意されている。同校の教員が作成したオリジナルの授業教材で、大きな教育成果を挙げている。
社会科の「社会科見学」でも、様々な見学場所を用意している。たとえば、鎌倉の鶴岡八幡宮では、参道の「段葛」の道幅を毎年、生徒たちに計測させる。すると、お宮に近づくにしたがってだんだん道幅が狭くなっていることがわかる。そうした発見を通じて、その理由や意味を考えさせていく。
中3になると、4000字の「卒業論文」を執筆する。テーマは自由。教科と関係なくてもいい。テーマに基づいて、自分の卒論担当教員が決まり、その指導のもとで1年間かけて調べ、執筆していく。優秀な作品は、表彰したうえで、学年全員の前で発表する。
石飛校長は、「卒論担当教員は、校長を除く全教員が分担します。教員1名あたり2~3名の生徒を受け持ち、参考文献の調べ方から、調査の仕方、論文の書き方にいたるまで、ていねいに指導しています。担当教科以外のテーマも教えなくてはならないため、教員自身も勉強しなくてはなりません。教員と生徒が一緒になって、本当に好きなことをとことん追求する『A知探Qの夏』は、その延長線上にあるものといえます」と探究活動のかかわりを交えて話す。
2022年度からは、高校で「総合的な探究の時間」という新教科が導入される。多摩大聖では、中3で行っていた卒業論文を高1に移動し、全教員が教える仕組みを維持したまま、探究活動を指導していく予定だ。そのため、系列の多摩大学の教員と定期的にゼミ活動についての研修を積み重ねている。
新しい学びに対応するため教科を離れた新入試を導入
多摩大聖では、新しい学び、新しい学校のあるべき姿を求めて、数年来、たゆまずに改革を進めてきた。教科の枠を越えた「A知探Qの夏」はまさにその代表といえる。こうした改革の一環として、来年度入試では、全く新しいタイプの入試を導入する。名称は未定だが、ICUが実施しているような、音声で講義を聞き、その内容に関連する多角的な質問に答えていく試験だ。
「人の話をちゃんと聞いて、その内容を理解したうえで、さらに、自分でもう一度再構成しなくては答えが出せないような、教科を超えた総合的な試験問題になると思います。教科というのは世の中を見る視点にすぎません。しかし、これまでの教育はどうしても教科にとらわれがちで、教員も生徒もなかなかそこから離れることができません。その足かせから自由になって学ぶ力を見てみようという試みです。基礎知識を見る従来の2・4教科型入試と、論理的な思考能力を見る適性型入試に、新しい能力を見る入試を加えることで、多様な生徒を受け入れ、本校の学びを進化させていきたいと考えています」(石飛校長)
新しい学び、新しい学校に正解はない。だから、多摩大聖の教員はみな悩みながら手さぐりで改革を進めている。
最後に石飛校長は、「大切なのは、我々教員が悩んでいる姿を生徒に包み隠さず見せることです。先生が苦労しながらも真剣に勉強している姿は、きっと生徒の心に響くはずです。保護者の方々にもそうあってほしいですし、学校と生徒と保護者が一緒になって悩みながら、新しい聖ヶ丘の教育を創り出していきたいと思っています」と締めくくった。